●ゆかりの芸術家の足跡一同に 「本間武男・歩み展」● 「本間武男・歩み展」は自分の作品だけでなく、画家としての基礎から生き方に至るまで様々な手ほどきや影響を受けた、自分や北海道にゆかりのある芸術家の作品を一同に公開する展示会で、この年はじめて開催しています。 展示されたのは恩師である宮崎信吉先生の水彩画や、宮崎先生に師事していた先輩でもある世界的木版画・斉藤清さんをはじめ、写実派からデザイン界、モダンアートまで、様々な分野で北海道美術界の一翼を担った仲間達の作品でした。美術系の団体には所属しなかった本間でしたが、最後まで古き良き友の作品に囲まれながら創作活動を続け、「歩み展」は不定期でしたが晩年まで開催をしていました。
●社会福祉番組「ふれあい広場・サンデー九」に出演● 「ふれあい広場・サンデー九」は、俳優・歌手であった坂本九さんが司会を担当していた札幌テレビ放送(STV)日曜朝の社会福祉番組で、ハンディに負けずさまざまな活動をする障がい者の方や施設の様子を取り上げて、広く啓発に努める番組でした。道内在住の小児マヒの女性が詩集を出版するにあたり、挿絵ほか支援を行っていた本間も同番組に出演することになり、これをきっかけに坂本さんとは手紙のやりとりなどお付き合いが続いて、坂本家の玄関には本間の絵が飾ってあったそうです。(当時の手紙より) 坂本九さんといえば代表曲の一つ「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」というタイトルで世界中で認知されており、1963年にはアメリカで最も権威のあるヒットチャート誌・ビルボードで3週連続第一位を獲得しています。坂本さんはその後も「見上げてごらん夜の星を」などヒットに恵まれて、温厚な人柄もあり「サンデー九」をはじめとする司会業でも人気者でしたが、1985年8月に飛行機事故により43歳の若さでこの世を去りました。道内の福祉活動に深く関わりを持っていたことから、その後「坂本九・思い出記念館」が北海道栗山町に建設されています。
●千年の鑑賞に耐えられる"昭和の絵曼荼羅"を制作● 曼荼羅とは、インドのサンスクリット語の音訳で「仏教の本質・仏の悟りの境地」のこととされています。絵曼荼羅は仏陀の悟りの内容を、それぞれの仏格に表すことにより深淵な整理を図示解明したもので、平安時代から鎌倉時代には様々な絵曼荼羅が描かれましたが、景観を主とするもの以外は約四百年ほど前から製作が途絶えていました。 本間は日蓮聖人逝去から七百年の節目であったこの年、東京にある日蓮宗の道場より依頼を受けて、江戸初期から描かれていないという法華経の絵曼荼羅を製作しています。 洋画家であり信者ではありませんでしたが、関係者の指導を受けて曼荼羅の法則を崩さず、日蓮聖人など三十六人を配した構図で描くことにしました。通常は光のみの絵曼荼羅に影を取り入れ宇宙の真理を表現し、千年の観賞に耐えるようフランス製の油絵の具を用いるなど、全く新しい手法で昭和の絵曼荼羅を仕上げました。 それまでも仏画は描いていましたが、「この作品は三十五年の画家生活を問われるものだ」と語り、制作にあたって精神統一のため日々瞑想を行っていました。また各方面に依頼し絵曼荼羅の資料を取り寄せたり、国宝級の作品を京都に出向き鑑賞するなど、それまで以上に仏の世界へ理解を深めていくきっかけとなりました。
●フランス・オンフルール展にシルクスクリーン版画を招待出品● オンフルール市美術館と欧州美術クラブの共催で開かれた同展に、あかね色に染まって暮れゆく釧路の河口を広角で描いた、シルクスクリーン「釧路の夕映え」が招待出品されました。出品したのは変化していく空の姿と水面の細かな波に、建物と船のシルエットが黒く浮びあがる印象的な作品です。 オンフルール市はフランスの印象派・モネが暮らしたノルマンディーの美しい港で知られる街で、この展覧会は関係者の間でも高い位置づけをされています。
●ネパールに福祉施設を建設するため全国で版画の展示会開催● 母国に障害者施設を建設するために北海道内で勉強を続けていたネパール青年の語る夢に心動かされ、売上げを寄付する版画の展覧会を全国で行いました。 用意した版画の数は1,000点以上にも上り、支援をうたって額縁代以外の全売上げを寄付することにしました。当時「彼の話を聞きネパールの福祉実情が痛いほどわかった。金銭的にも不十分な様子で、及ばずながら、という気持ちで決心したんです」と語っていました。
●反戦壁画「十回彷徨」制作 タイトルは書道の大家、町春草さん● ![]() 「十界彷徨」は1983年に製作を開始し1984年に完成した、縦2メートル・横40メートルにわたる壁画で、「幼少の頃お寺でみた"地獄極楽"の絵巻が脳裏に焼き付いて離れず、自分と同じように子供たちが大人になっても心の中に残るものを」と、平和の尊さと戦争の悲惨さを後世に伝えるために取り組んだものです。本間は青年時代に特攻機の製造や東京大空襲を体験したこともあって、平和への願いは人一倍強いものでした 大きなキャンバスは「開戦」「原爆」「平和」の三部構成で、「開戦」では真珠湾攻撃、ミッドウェー開戦、マニラ北方クラーク基地から飛び立ち帰らぬ人となった"ゼロ戦神風第一号・関行男大尉"を模した特攻隊員とともに、不安や恐怖に慄く人々や全身に怒りをたぎらせた仁王の姿を描きました。 タイトルは国内屈指の書道家である町春草さんへ、資料などを送り相談をしたところ快諾をして頂きました。「十界」とは仏教用語で「全世界」を意味し、「さまよえる現代にピッタリのタイトル」と本間は語っています。 この作品へは問い合わせが多くあり各メディアでも取り上げられ、この年の終戦記念日にあわせて道内各地で展示することになりました。下の絵は壁画の一部をポストカードにしたもので、それぞれの場面が2分割になっています。
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