1985年
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樹齢250年のアカマツの切り株で仏頭(仏の顔)を制作



 1985年、樹齢250年・直径1.5mのアカマツの切り株を知人に譲り受け、平和への願いを込めて仏頭を制作しました。仏頭は、木彫りの上に粘度をかぶせアルカラーブロンズを塗って仕上げられ、終戦記念日に合わせて公開されました。



 仏像類の制作は以前から行っており、仏の慈愛に満ちた表情に触れて多くの人にやすらぎと平和の大切さを感じて欲しいと、1987年に誘致を受けたことをきっかけにして1988年恵庭市白樺町へ仏像彫刻記念館を建設しましたが、2004年に完全閉館に至っています。



仏像を制作している様子です。







皇太子様ご夫妻へニシンのパステル画



 この年皇太子様ご夫妻が来道の際にサロマ湖で行われた「第五回・全国豊かな海作り大会」へご出席をし、ニシンの稚魚を放流なさりました。このときお泊りになったホテルの部屋に本間の版画が3点飾られたことから、これを記念して知人を介しニシンのパステル画を皇太子ご夫妻へ進呈しました。



 ホテルから部屋に飾る版画の注文があったときには、「北海道らしい風景を」とだけしか聞いておらず、後から「皇太子様ご夫妻にお見せするためだった」と聞かされ驚いたと語っています。



 後日手塚侍従長から電話があり、皇太子さまがたいそうお喜びになって「ホテルの部屋の版画も興味深く見せてもらった、本間によろしく」と仰っていたそうです。その後この絵は皇室に飾られました。



皇室に飾られたニシンのパステル画です。
美智子妃殿下が稚魚の放流を謡った御歌を
日本屈指の書家、町春草さんが書にしたものです。


落款は町さんのもので、1988年に本間が恵庭市白樺町に製作した
ジョンレノン平和記念碑に刻まれた
"こころ"という文字も町さんのものです。


上の写真の御歌について経緯は詳しくわからないのですが
北海道、もしくは佐呂間町のために美智子様が詠んだものを
本間がパステル画のお礼に頂いて、
町さんに書いてもらったのかな?と思います。
1989年にご来道の際、
ホテル日航千歳内本間武男ギャラリーをご見学の後
版画を4点お買い上げ頂きました。
美智子様がしゃがんで一枚一枚版画をご覧になっている写真です。

白いスーツやパンプスが汚れることを気になさるご様子もなく、
いつも笑顔の美智子様に本当に頭が下がる思いです。






1987年
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平和と豊作を祈り曼荼羅制作



 反戦壁画「十界彷徨」や昭和の曼荼羅の話を伝え聞きいた岡山・最上稲荷妙教寺より、千二百年大祭に奉納する「最上尊絵曼荼羅」の制作を依頼されました。同寺は比島観音を設け、第二次世界大戦中フィリピンで戦死した五十万人の供養祭を行っており、伏見・豊川と並ぶ日本三代稲荷のひとつで神仏習合のお寺です。本間は当時「神・仏合体の図とし、平和な暮らしを願い、豊作を祈願したものにしたい」と語っています。



 早速稲荷関係の資料や仏像を集め、絵は中央に同寺の開祖が苦修錬行の際に稲荷山八丈岩で感得したという「最上位経王大菩薩」を描き、向かって右には「開山報恩大師像」、左に稲荷の使い「白ギツネ」を配しました。また菩薩の右手にはかま、左手には稲が握られており、豊作の願いも表現しています。色々な資料を基にして、自由に心休まる気持ちで描いたこの絵曼荼羅は、同寺が設けた特別室に収められ永久保存されました。







1988年
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恵庭大橋に乙女の像



 交通量の増大が続く国道36号線の混雑緩和を目的に、 北海道開発局が1987年から工事を進めていた恵庭バイパスの一部が完成し、本間(苫小牧市在住)と鈴木吾郎さん(小樽市在住)がデザインしたブロンズ4体が恵庭大橋へ設置されました。



 国道36号線は札幌と新千歳空港を結ぶ北海道の大動脈で、恵庭パイパスは道央テクノポリスや恵庭ハイコンプレックスシティ(高度技術集積都市)構想に重要な役割りを果たすものと期待されていました。この年開通した恵庭バイパスは、恵庭市北柏木町を基点に国道36号線を北東に迂回し、JR千歳線や漁川をまたいで恵み野・南島松地区と黄金地区とを結び、このとき開通した一・三キロの総工費は二十一億二千七百万円ということです。


 恵庭大橋は機能性だけでなく、市が進めている「水と緑のやすらぎプラン」に沿いさまざまな工夫が凝らしてあり、市が約四千万円をか、橋の両端四ヶ所に橋台広場と呼ばれる小公園やあずまやを設置したり、市の花スズランや太陽などを表現したカラー舗装で四季を表現するなど、市民が川面を眺めながら散策ができるようになっていて、中央の歩道両側に春夏秋冬を表現するブロンズのモニュメント「乙女の像」が設置されることになり、本間は夏と冬を表現する2体を担当しました。


その後この区域に中島公園が完成し、現在では道と川の駅がオープンし賑わいをみせています。







1989年
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平成の飛躍を願い、昭和天皇のご逝去を慎んで水墨画を制作



 登別の道路掘削工事の際に発見された約四万年前の炭化木を関係者より分けていただいて、平成元年の飛躍とともに昭和天皇のご逝去を悼む水墨画を描き、掛け軸にして恵庭市内の仏像彫刻記念館に展示しました。



 平和や繁栄の願いが込められたこの掛け軸は、縦1.4m、横40cmで慈愛に溢れた観音像と、観音像の背中には天に上る龍の姿が描かれています。昭和を振り返り、追悼の念と平成への思いから筆が進んで一日で仕上げたそうです。その後この掛け軸は故郷余市町のお寺に収められ、大切に保管をされています。