● 1994年 ●
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■ふるさと切手に"エゾシカ"■

■第46回さっぽろ雪まつりポスター原画製作■





 
 1994年、郵便局のふるさと切手"エゾシカ"を描きました。これまでもお年玉付き年賀はがきや「かもめーる」、絵入りはがきの原画など手がけてきましたが、今回の"エゾシカ"は、北海道の野性味あるエゾシカを迫力あるタッチで描き、この年のふるさと切手の中で一番の人気となりました。






またこの年第46回さっぽろ雪まつりのポスターデザインも担当し、赤いショールで日本をイメージした上で目にうっすらと青を入れ、外国色も出して北海道の国際化と平和を願うデザインにしました。雪まつりポスターの原画は過去にも制作しており、左が1990年第41回、右が1995年第46回のものです。








■旧ソ連の貴重なフィルムをビデオ化へ■





 当時国内では北海道〜サハリン(ロシア本土)〜ユーラシア大陸を橋で結ぶ壮大な構想が持ち上がっており、「北海道とユーラシア大陸を結ぶ会」が結成されていました。そこでこの年に知人を介て、旧ソ連が国外向けの宣伝用に作成した少数民族の歴史や厳しい風土を紹介するフィルム600本を入手し、ビデオにして道内の施設へ貸し出しをしたり恵庭市内にある本間コレクション(当時)内で放映をしていました。



テレビで放映された映像です。


 損傷が激しく全てはビデオ化できませんでしたが、このフィルムは「大草原の秘境ブリヤート」「山岳の騎馬民族キルギス」「さいはての秘境カムチャッカ」など、少数民族の興味深い生活を紹介したり、カムチャッカ半島から千島列島の冬の厳しい風土を伝えるものでした。また「文豪トルストイとプーキシキンの周辺」など歴史・芸術も幅広く取り上げています。若き頃、北方領土の返還を願い展覧会を行った本間でしたが、ロシアを知り、ロシアとの心の架け橋を結ぶためのビデオ化でした。在日ロシア連邦大使館からも「画家・本間武男さんの手によりビデオ化され、一人でも多くの方がロシアの文化・科学・自然に親しみを覚え日ロ両国民の友好親善に役立つことを心から願っています」との推薦の言葉をもらっています。




写真は当時のパンフレット?で、ボリジョイバレエの映像と思います。アルバムに張ってあったので掲載しました。ロシアといえば政治や経済・宇宙開発事業などが思い浮かびますが、建築や芸術・文学など、厳しい自然の中で様々な独自の文化を築いた国でもあります。





● 1995年 ●
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■仏画に繁栄と平和の願い■




 1995年に故郷余市の大乗寺へ、余市や祖国の繁栄と平和を願う気持ちを込め、8ヶ月をかけた油絵(各2m四方)を3点寄贈しました。幼なじみの住職から「11月に完成する葬祭場の祭壇に飾る仏画を描いてほしい」と頼まれ、自宅アトリエで1日1〜6時間ずつ描きました。



 当時「体力的に疲れたが、寺を訪れる人たちに喜んでもらえることを思えば辛くはなかった」と語り、住職も「信徒一同、喜んでくれるでしょう。寺の宝物として大切に保存します」と話していました。




祭壇に飾られた仏画3点。心労がピークであったなか、故郷余市を思い心を込めた作品です。





● 1996年 ●
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■海に挑んだ歴史を辿る帆船づくりに挑戦■







 1991年より続けていた「ちとせ 大空の夢アミュージアム」の飛行機模型作りに目処が立ったことから、今度は第二の故郷である海のまち・苫小牧市で人類と海の歩みを紹介できればと、歴史的な帆船のミニチュア作りに挑戦しました。







 この取り組みは、紀元前から十九世紀ごろにかけて世界各地で建造・利用された46隻を1/75サイズで復元するもので、6,000年以上も前から人類とともに歩み、海上交通手段として世界に繁栄をもたらした帆船達の歴史をたどり、先人達の夢とロマンを身近に感じてもらえればと計画したものでした。




完成した帆船。このあとガラスケースに収めて展示しました




 スタッフ十五人で製作した木製のミニチュア帆船は、紀元前にエジプトで使用された「ファラオの船」、コロンブスがアメリカ大陸を発見した際に乗っていた「サンタマリア号」、日本を代表する帆船「日本丸」などで、国内を代表するマニアの方からも高い評価を受けました。








 この時俳優の森繁久弥さんから激励の詩が届いており、「海どのと船君」と題したこの詩も完成した46隻の帆船と一緒に紹介しました。本間は製作した帆船のその後について、「海のまち(苫小牧)の名物として、行政などが街づくりの一環で活用してくれれば」と話しており、一部、恵庭市内の本間コレクションでも展示公開しました。




テレビ・情報誌で使われた画像です。
特に右の映像は真剣さが伝わってきます。







制作したミニチュア船の一部をご紹介します。






〜 カラカ・アトランチカ号 〜
1543年、種子島に鉄砲を伝えたポルトガル船。日本には平戸など各地にもたびたび寄航し「南蛮船」と呼ばれました。



〜 ファラオの船 〜
紀元前2700年頃、エジプト王の命令でシリアに遠征した際に活躍した軍船。ファラオとは古代エジプトの国王の名称です。



〜 バイキングシップ号 〜
9-12世紀頃にスカンジナビアを拠点としてヨーロッパ各地に遠征し交易や殖民のために使われた船。現代ではバイキングといえば海賊船のイメージがありますが発祥は異なります。



〜 カティーサーク 〜
欧州諸国で茶貿易が盛んになった19世紀初頭に活躍した商船のひとつ。インドや中国などの産地からイギリスの市場へ向けて紅茶を輸送した商船の中で最も有名な快速船。当時ロンドンに一番茶を運んだ船には報奨金がついたとされています。



〜 ロイヤルキャロライン号 〜
1749年に建造されたイギリス王室ご用達のヨット。大砲を備えており一見軍艦のイメージもありますがマストはロイヤルブルー、船首は黄金など色を塗り分け気品を感じるデザインです。1805年にはイギリスの海外植民地を巡回して世界一周を達成しました。



〜 サンタマリア号 〜
コロンブスがアメリカ大陸を発見したときに乗っていた船。全長30m、重さ約1,000tのキャラック船で世界で最も有名な船ですが最後は座礁してスペインへ帰還できなかったこともあり構造には謎が多いとされています。



〜 フリースラント号 〜
17世紀頃、オランダの東インド会社に所属していた商船。本国から遠く離れた植民地を経営していたため、商船とはいっても軍艦なみの装備。長崎にも来航したことがあります。


〜 アメリカ号 〜
世界で最も権威のあるヨットレース「アメリカズ・カップ」の前身のレースが1851年にイギリスで開催され、当時の海洋王国イギリスの強豪15隻を引き離し勝利を収めたヨットです。



〜 レアル・ド・フランス 〜
59本ものオールで航海した17世紀フランスの旗艦。船体が非常に細長く方向転換に苦労した船ですが直進時のスピードは速かったそうです。1本のオールを3〜4人が担当し、ドラの音に合わせて漕いでいました。



〜 ソブリン・オブ・ザ・シーズ号 〜
「黄金の悪魔」と呼ばれヨーロッパの海に君臨した帆装軍艦。チャールズ一世がイギリスの国威をかけて建造し1637年に進水しました。彫刻装飾には金箔がくまなく施され巨額の費用を投じた船です。






森繁久弥さんから寄せられた詩 


●○● 海どのと船君 ●○●


わたくしの、いえ私たちの遠い親戚に"海どの"というのがいます。実は私たち人間はそこから生まれたと聞きましたが、海どのは一見美しく、大人しいものと見えますが、大変なウツ病でソウの時は私たちを浜辺に誘い、結構楽しく遊ばせてくれ、また漁(すけどり)もさせてくれます。ところがウツの時が来るとガラリと豹変して人間さまなんか無論のこと、家も山もけずり荒され放題に狂ってどうすることも出来ません。


そんな恐ろしい海どのですが、人は何年も懲りずに長い付き合いで、その上をすべる船というものをこしらえ、遠い国へ旅をしてきました。もちろん風だけが頼りです。さてどちらが偉いのか決めかねていますが、その長い人間の叡智を知りたければ、ここに並んだ船の歴史を見てください。それでも分からなければ、創られた本間先生にお聞きなさい。

※森繁さんも船がお好きとのことで、海と人間の歴史を夫婦に見立てた温かみがある素晴らしい詩ですので掲載させていただきました。






展示の模様など写真は見つかりましたら掲載していく予定です。






● 1997年 ●
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■東郷青児氏の"幻の大作"を復元■



 この年、日本画壇の巨匠・故東郷青児氏の幻の大作を完全修復しました。33年前に描かれ、東京都で会社を経営する方の倉庫に二十年間眠っていたものです。縦3.3m・横8mの大きな油絵は、雲の上に花が咲き五人の女性が描かれた幻想的な絵でした。修復には約10ヶ月をかけて、独特のタッチや色使い、甘美な世界を忠実に再現しました。


 東郷青児氏は戦前に画壇のちょう児となり、戦後は仁科会などを運営、優美でロマンチックな輝きを放つ独特な作品を次々に発表しています。修復を手がけた作品は長い間倉庫に保管されていたことから、キャンバスの下に空気が入り凹凸の箇所が目立ち、表面が汚れたり色が剥がれている箇所もありました。本間は「原始的な方法だが、ジャガイモを2つに切り、その切り口で油絵の汚れを落とすなどの方法をとった」と語り、完成後の管理を持ち主の方から任されていたことから、市民の要望を受けて製作拠点である苫小牧市内でお披露目をしました。その後、この絵は仲介役の方に返却をしています。





■高さ2m、長さ140mの油絵"北海道の四季"の製作に着手■




 
 画家生活50周年を記念して、1997年の12月に"北海道の四季"の製作に挑戦しました。"北海道の四季"は2年にわたり描き続ける予定だった大壁画で、完成後の大きさは高さ2m・長さ140mにもなる見込みでした。冬には冬の風景を、春には春の風景を描きながら、完成後には道内各地の春夏秋冬が左から右へ連続的に変化していく作品となる予定でした。(写真は製作の様子です)



 市民や企業、宝塚歌劇団をはじめとする皆様より絵の具代・キャンパス代の支援を頂いたことから、製作のため借りた空き店舗に椅子を並べて、フルタイムで仕上がっていく様子を公開するなどし、当時、完成した"北海道の四季"は活動拠点であった苫小牧市内に展示スペースを作りたいと語っていました。


 しかし翌年の10月に脳梗塞で倒れ画家としての生命が絶たれてしまい、"北海道の四季"は残念ながら日の目を見ることなく終わっています。"北海道の四季"は開拓史になぞらえ、厳しい冬から描き始める形としていました。言葉でなく絵にメッセージを託し、見る人の感性に全てを委ねようとした姿は、最後まで芸術家という言葉がふさわしい生き方だったのではと思っています。








● 1998年 ●
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■フランスで版画展開催■






  1998年2月に株式会社日本航空様のご協力により、シャンゼリゼ通りに面した日航パリ市店内のギャラリーにて2週間にわたる版画展を開催しました。パリでは画家としての成長期にあったころ、油絵や水彩画の個展も行っています。



 本間は前年より手がけていた油絵"北海道の四季"を展示する場所に、フランスの画家モネにより造られた"ジヴェルニーの公園"を再現したいと語っていました。モネはジヴェルニーの公園に「水の庭」や「花の庭」を造り、観光名所として多くの人が訪れるこの場所を自身の最高傑作としています。




(モネについてはこちらのサイト「モネの絵」をご覧ください。モネの庭や作品について詳しく紹介をしています)




 この年の10月に脳梗塞で倒れ画家生命を絶っており、最後の夢を受けてご好意を下さった日本航空様に心よりお礼を申し上げます。