■□東京へ心揺れ動く
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 しばらくのあいだ、絵を描きながら小樽の丸井今井の宣伝部で働いた。仲間と酒もよく飲み歩いた。夕方五時頃になると何となく四、五人集まってくる。絵描き、デザイナー、たまに詩人などもいる。小樽に「親不孝通り」というのがあった。うまい名前をつけたものである。毎日のようにその通りを、親不孝者を連れて飲んで歩いた。そんな毎日が続いたが、ふと我に返るときがある。私は黙って丸井を辞め東京へ行こうとした。昭和二十九年、九月のことだった。



 列車に乗り函館に着いた。台風が近づいていた。連絡船まで時間がある。酔っていても不安だったのだろう、街の手相に見てもらった。一人では信じられず三人に見てもらった。皆同じことを言う。東京などへ行かず、まっすぐ帰れという。最後に駅前のちょうちんで、おかみさんが酒を注ぎながら帰るよう熱心に勧める。これで揺れ動いていた私の腹が決まった。そのまま汽車に乗って家まで引き返した。駅についたその足で姉の家に行く。風雨はますます激しく朝までガラスを叩いていた。その夜、函館を出た青函連絡船、洞爺丸が沈んだ。



 丸井を辞めた後も住みやすいのか小樽を出たり入ったりした。酒びたりの毎日ですっかり目標を失い、昭和三十五年頃は芦別にいた。そしてその後、網走管内の遠軽町に行く。そこで内科医の切替弘雄先生と出会うことになった。



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