■□平和を願って
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 恵庭市内に、広島の原爆の残り火である「原爆の火」を灯した。



 原爆の火は現在、福岡県八女郡星野村の平和の塔で管理されている。昭和二十年八月、広島市内を焼き尽くした残り火で、今も絶えず燃え続けている。



 私は思うのだが、平和運動の集会で、ダイインと称して一分ほど地に横たわるのは、あれは間違いではなかろうか。せいぜい大地の暖かい幸せに包まれるだけである。気持ちの問題といえばそれまでだか、本当に被爆者の痛み、苦しみを知るのなら、一分だけでも焼けた火箸を握るのがいい。それだけ戦争とは本当に悲惨、壮絶なものなのだ。



 昭和六十二年(一九八七年)のことです。平和を願って、ジョンレノンの記念碑をつくりたいと思い立った。そこでオノヨーコさんの知人の田村氏に話しをしてくれと電話をした。「本人が来日しているので明日会う」という。次の日、ホテルオークラで待っているとのこと。私はすぐ電話をした。



 電話の声は実にソフトだった。主旨を話したら快く了解してくれ、「明日、富士山に登ってすぐアメリカに帰るが、来年(私のところへ)必ず行く」と言うのである。



 翌年七月十五日、オノヨーコさんから「今、日本に着いた。十八日にそちら(恵庭)に行く」と連絡が入った。



 私は慌てた。彼女は忙しい人だと思ったから、碑に添える記念樹を「許可だけいただければ、私が穴を掘って木を植えておきます」と言ったら叱られた。「用意しておくように。私が行ってきちんと植えます」というのである。



 当日オノさんがたずねて来た。付き人が八人ぐらいいた。私の周囲は皆ぴりぴりとしていた。みんなで食事をした。オノさんは私に「とにかく森をつくりなさい」「木を植えなさい」と熱心に勧めた。



 厳しさと限りなく優しい世界のオノヨーコさんに、心から感謝している。